蝋燭の灯


戦争が終わって来年、70年を迎える。 戦争に負けてバラックの中で日本人は生きて来た。 そして今は


飽食の国になった。 これは一重に祖父母、父母などの先人方の弛まぬ汗と涙の結晶なのだろうと思う。


今、多くの方々がそのあとを継いで、それぞれの立場で、自らの仕事や、なすべきことに誠実に向かい合って


いる。 地道な、ひたすらなお蔭で今がある。


人生には、辛いこと、悲しいことが突然目の前に現れる。 連日、ニュースで伝えられる悲しい出来事。


心が痛む出来事。 人生、自分の力ではどうしようもない理不尽な出来事が平然と起こってしまう。


でも、いつも思う。 たとえどんなことがあっても、そこで投げ出したり、自暴自棄になったりしてはならないと。


今の世の中、まだまだ景気は安定せず、職を失う人も多い。 一生懸命会社に尽くしてきても、ある日突然


リストラに出くわしたりもする。 やりきれない理不尽さに立ち尽くしてしまう。


でも、だからと言って、「もう人生は終わりだ」 とはならないのだ。


執着する心を開いてみれば出る目も変わってくる。 会社に執着し、今までやってきた仕事に執着する。


自分にはこれしかないと勝手に思い込み、妄想に駆られたごとくに、必死にしがみ付こうとする。


だから苦しむのだと思う。 世の中には違う生き方があると知りえるまでに多少の勇気と時間が必要な


だけなのだ。 少しくらいの回り道は進んでした方がいい。


人生は長いのだから。 そして人生は何歳でもやり直せるのだから。


人生の下り坂に直面すると、不思議なことに不幸は束になって訪れてくる。 怪我や病気、事件、家庭不和


など、誰しも、なんで私だけと思うような暗闇のような経験をする時期がある。 一つだけでも大変な出来事が


それも、半年の内に、または1年の内に立て続けに起こったりすると、「この世に神なんていやしない」と斜に


構えるようになる。 しかし、忘れてはいけない。  束になって不幸が訪れたあとには、束になって


幸せな出来事が、必ずやってくるということを。  人生のめぐり合わせとは、こんなものかもしれない。


だから不幸続きに打ちひしがれている暇はないのだろう。 言い換えれば不幸も幸せも、いつまでも続かない


ということだ。 自分だけが苦しんでいる訳ではない。 そしてそれが永遠と続くものでもない。


苦しみや喜びは誰のもとにも訪れるもの。 さあ、周りの世間体に流されることなく、自分自身の幸せの道を


探そうではないか。 今からでも遅くはない。 人生、今日が始まりなのだから。


74人が亡くなった広島市北部の土砂災害から49日目の今日10月7日、東日本大震災や阪神大震災の


被災者支援に取り組むボランティアや僧侶らが集まり、四十九日法要が営まれた。 御嶽山では、明日


また1000人規模で捜索するという。


我に出来ることは何もない。 出来るとすれば日々誠実に活きることくらいだ。


そして思う。 蝋燭の灯を眺めていて思う。 この微小な灯の光でも闇に覆われた世界を照らすことは出来る。


どんなささやかな灯でも、そこの闇を消し去ることは出来る。


一瞬の、ほのかな希望は、そんな灯から始まるのだ。 我は活きる。 前を向いて活きる。


たとえ、それがほのかな灯であっても。 じきに多くの人の心を照らす光になる。


次の世代のため、我は、そう願ってやまない。


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