内なる声


韓国では日本よりも厳しい受験戦争がある。 日本でも、やはり有名な中高一貫校に入る時、または大学受験で


国公立に入ろうとする時には、少なからず狭き門を意識することになる。 小学校の受験でもそういうものだ。


しかし、国公立の有名大学を出て、官僚や、超安定企業として一部上場会社に入社し、高い地位につき、高収入


を得ることが、ただちに幸せに直結するというものではないと思う。 これは言わば流行性の錯覚と言うより


ほかない。 入社する時には一流企業でも20年も過ぎて、マネージメントをする立場になる頃に倒産する


企業では迷惑千万、ということになる。 しかし、こういうことは少なくはない。  ならば、生きがいや幸せという


ものは、やはりその人の人生観や人間関係に尽きるのではないだろうか。 そのように考えれば、周りに惑わ


されることもなく、また世間体にも縛られることもなく、そして見栄や体裁にキョロキョロ、アタフタすることもなく


going my way を自信をもって貫くことが出来、満足いく生き方が出来るのではないだろうか。


このことは自分自身の55年の経験則からの思いではなく、幼少から見聞きしてきた事柄のみならず、書物の


言葉や、先人の尊い教え。 そして、自らが体内に宿すDNAをたどることであり、今から230万年前に


アフリカに生きていた猿人のような、原人のような祖先が延々と渡り歩いてきた苦難の記憶と、それを


乗り越えて生き抜いてきた記憶が歴然と存在することに目を向けているということなのだ。


少なくとも16万年前に生きていたアフリカのイブからの記憶は今、生きている人類すべての人が持って


いるもの。 しかし、残念ながら、その暗室の中に深く閉じ込められているその記憶を呼び起こす前に


自らの命を閉じてしまう人も多いのではないだろうか。 


特に、高い地位や収入のみに目が向いてしまう流行病にかかってしまうと、そんな自らの内なる声を感じ取る


感度が消えうせてしまうのではないかと思えてならない。


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