怠惰に生きた100年よりも


人は希望に満ちている時は「輝いてるような顔」に見えるもの。 逆に失望し落胆している時の顔は


光を失くしみすぼらしい顔や姿に見えるもの。 それを表してか影が薄いとはよく言ったものである。


目には見えず形もない心とか、気力とかと言うものが如何に大事なものかと思えてならない。


草や木の根も土の中にあって人の目には見えないもの。 しかしこの根があればこそ、草や木が


育つのである。 これから訪れる冬には何もしないで、ただジッとしているように見えるけれども


実は土の中で一日も休まず懸命に養分を吸収しようとしている。 このように目に見えないところで


精一杯生きて十分な働きがあるからこそ、春が来たら花を咲かせるのだろう。 その春の花を見て花見に


浮かれる人は多くとも冬を耐えた根の働きに思いをはせる人は少ない。 人も同じように心に養分を


吸収することを怠ってはならないと思う。 心を豊かにして、広く正しく育てる努力があればこそ


時期が来て、人生の花をさかせることが出来るのだろう。


中には自分で、自分の根をせっせと掘り起こしている人がいる。 これでは折角、実りの時期が巡って


来たとしても花が咲く道理はなさそうである。


ならば正しい心と言葉と行いの実践によって、目に見えないところで自分の根をしっかりと太くして


行かねばならないのだろう。 人生のいかなる嵐に巻き込まれようとも、びくともしない心根を大事に


育てて行きたい。 私は世間の垢に染まって、転がるだけの人生を歩んでいる時にいつもこのことを


思いだすのである。  「怠惰に生きた100年よりも精進した1日の方が尊い」 と。


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