黒帯


極真の黒帯は、百貨店やスーパーで買えるものではありません。確かに道着を買って自分で武道道具を扱う業者に


出向いて黒帯を揃えて、帯に名前と極真の文字を刺繡すれば恰好は整うでしょう。しかし、技はどこで買いますか?


どこにも売ってません。本で読めば出来るというものでもありません。すべて目と耳と身体全部で体感して覚えるもの。


この対面で覚えるから身体も、ちょっとやそっとでは忘れないのです。何度も、何度も真似をしようと試みれば、その結果


自分なりの形が出来あがります。この真似をする過程で、徐々に感覚も研ぎ澄まされ、自信も生まれ、そして何事にも


動じない心が培われてきます。極真にはペーパードライバーはいません。「試験にあわよくば通って」、というようなラッキー


は黄色帯の段階まで。 そこから先は力の世界。うまさは見ればわかるし、強さも見ればわかります。その逆に極真の


緑帯や茶帯で弱い人がいたら、それは可哀想です。極真の緑帯・茶帯クラスとなれば何よりも強いこと。それは身体が


強いこと、スパーリングが強いこと、試合に強いこと、そして心が強いこと。これらのことが備わってなくて緑帯以上に


なっていたとしたら、いずれ下の帯の人にやられてしまうでしょう。たまにそういう方に出くわすことがありますが可哀想です。


極真の緑帯以上の帯は、心が強いという証です。黒は何色にも染まらない色。決して、何事にもふらつかない心の証。


そして、その人の生きた証でもあり、プライドなのです。 


極真の黒帯は、他流はより取得しにくいと言われます。これは間違いです。誰でも取れるのですが、多くの場合、黒帯


を取る前に辞められてしまうだけなのです。 取れると思い込めば必ず取れると私はそう思っています。私自身がそう


だったので。 私は白帯の時、自分の黒帯の姿を何度も想像しました。黄色帯の時も、緑帯の時も。それが茶帯になると、


たぶん自分も極真の黒帯が取れるかもしれないと、薄っすら希望の陽が垣間見れるようになるのです。その茶帯をある


期間経験する内に、いつしか自分が指導者側に立っているのも気づいてきます。それが茶帯の自覚です。その自覚が


あると、もう真近。 あとは先生の「そろそろ次の審査で初段を受けてみるか」という言葉を耳にするだけです。


その言葉は審査の半年以上前に聞いて、昇段審査までに覚えなければならない、様々な型、移動稽古、そして組手に


耐えられる身体を創って行きます。これは長年登ってきた山のイタダキが見えた瞬間です。半年はあっという間に過ぎる


でしょう。流石に他流で黒帯を頂いた時と違い、極真の黒帯を46歳で頂いた時は感慨深いものがありました。


なので認定証は今でも大事に保管しています。振り返ってみると賞状をもらったのは、そろばん2級と学校の卒業証書


だけ。それが極真の試合に出て優勝や入賞をして賞状、メダルやトロフィーをもらうようにもなると嬉しくて、励みにも


なりました。また40歳台にして、自分の逃げない心を授けてもらった大事な経験の場に感謝の気持ちも湧いて来ました。


これら認定証もトロフィーも、すべてが自分の誇りです。 しかも極真の黒帯の認定証と帯を頂いた時は、その何とも


言えない重みと、念願叶った達成感とで、それまでの苦労は露と消えたことを思い出します。


私は、その過程を味わってもらいたくて、今年、出会った方々に指導をしてます。極真の黒帯は夢ではないということを


伝えたくて、一緒に汗を流してます。身体が小さくても、年齢が50歳を過ぎていても、黒帯になられた方を何人も見てきた


ので、遥か遠くの手の届かないものでは決してないということを私は伝えていくつもりです。


私自身、多くのご父兄さんたちと同じように、家族に対する顔、そして仕事の顔、そして道着に袖を通し白帯を締め出した


時の空手初心者の顔、それをバランスを考えながら続けて来た結果が今の私です。


15年前を思い起こしながら。いつもがんばれ~!って心で叫んでいるのです。 子供たちも、お父さん、お母さんたちも


がんばれ~!と。 あっ、忘れてはならない人がいました。お一人結婚されてない方が。私は、その方が結婚される時


には、ここで出会った方々みんなで祝福してあげたいと秘かに心に決めています。わざわざ世田谷から車で通ってくれる


その方も、いろんな意味でがんばって欲しいです。 また育児と家事と送り迎えで忙しいお母さんも学校のことや、ご近所


付き合いのことや、親戚のことやらで気が休まることがないでしょう。 30歳台、40歳台は、そういう中であっという間に


過ぎ去って行きます。極真空手は、そういう走馬灯の中でも何も変わらず、ただ強い心を育んで生きて行くための手段


として、また普遍的なものとして先達たちが築き上げてくれたものです。それを横浜青葉の地で一人でも多くの方々に


伝えて行くのが田中空手クラブの使命だと思っています。私は、一人でも「教えて欲しい」と言われたら、必ず、その人


の為に時間を取るのは、そういう訳なのです。


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