一粒、そして一秒


昨日、おとといがあって、今日の自分がある。 三か月、半年前の自分があって、今の自分がある。


3年、5年、10年、15年、そして20年、30年前の自分があって、今の自分がある。


1時間は3600秒。 1日は86,400秒。 1か月は約260万秒。 そして1年は約3110万秒。


30年では約9億3300万秒。 気の遠くなるような間、着実に砂時計は時を計っている。


だから、この1秒、1秒を無駄にしてはいけない。


人には固有の砂時計があって、一人一人の砂時計の大きさ、砂の量は生まれながらに差がある。


そして蝋燭が消えるように、その砂時計も最後の一粒が尽きたら、それでその人がその身体で生きる


ことは出来なくなってしまう。 おもちゃの電池がなくなるように、砂時計の砂もいずれなくなってしまう。


だから、その一粒一粒、一秒、一秒を無駄にしてはならない。


私には無駄にしてはならないことがある。それは私が今まで味わった苦しみ、悲しみ、妬み、痛み。


それから何よりも人に与えて来てしまった苦しみ、悲しみ、妬み、痛みである。


若かりし頃、私は人の世話になるものかと思いながら生きて来た。


しかしもはや、その過去に立ち戻って、過ちを悔い改めることは出来ない。


今日、6月12日 二つの事件の判決が出た。


一つは、2014年3月に起きた柏の通り魔事件の判決。


「これでまた殺人ができる」という声が残った。


もう一つは、2014年9月に生活苦から実の娘を絞殺した判決。


「本当は私が死ぬはずだった。可純に申し訳ない」という声が残った。


失敗も、後悔も、そしてどんな嫌な事柄も、一つとして無駄なことはない。


人はその生涯の中でいったい何千人、何万人の人に出遭っていることだろう。


「もう、あの時には戻れない」 という過去をどれほど観て来たことだろう。


今日、私はいろんな経験をした。 そして明日の私はどんな経験をするのだろう。


今日、私はいろんな人に出遭った。 そして明日の私はどんな人に出遭うのだろう。


昨日の自分があって明日の自分がある。


今日の道端の蟻んこにも明日がある。


そして、田んぼに生まれる名もなきミジンコにも陽のあたる明日はきっとある。


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