烙印


都立高校入試で採点ミスがあり2年間で18人が不合格になっていたという記事がありました。 よく読むと


今春の筆記試験で216校のうち146校でミスが発覚。 何と67.6%の高校で採点ミスがあって件数でみると


合計1139件も。 4月の時点では48校で139件のミスがあったと言っていただけだったのに。 


このことで昨年度のものをもう一度調べることになったら、やはり、108校で1072件も。 


何々?   毎年1000件を超える採点ミスがあったの? それってどういうこと?


これでは公平でないという訳でしょうか、追加合格という救済措置で決着をつけたようです。 


今年の試験を受けた人はそれでいい。 しかし、去年、ギリギリで不合格となった受験生はどうなるのでしょう? 


たぶん件数からして同じぐらいの人が不合格になっていて、その生徒達は第二志望の私立に行くか、高校進学


をあきらめて就職という道を選択したのかもしれません。 そのことをどうするのかは何も書かれていません。


これら一連の記事を見て感じたのは、「試験とは昔からそういうものだ」というもの。 何かあっさりしているように


思われる方もいるかもしれません。 何で白が黒と言われたのか、その為に人生が狂ってしまった人がいるはず。


そして、その人の人生を変えたことに責任はないのか? と思う人も多いことでしょう。 しかし私はそうは思わない。


「何でアイツがあんな難しいところに受かったの?」 


「何でアイツが落ちたんだろう?」


こういう類の話はよくあります。何十年も前から。 そして中学、高校、大学のそれぞれの入試でもあったはず。


もしくは、たまたま前日に読み返した文章がそのまま試験に出たり、模試でやったものが出たり結果を、単なる


運不運で解決してしまったこともあったはずです。 


就職試験では試験の成績よりも実は面接が肝心。 しかもそれは入社を希望の人からすると意外と不公平なもの。


頭の良し悪しや出身大学もあるかもしれないけれども、最終的には面接した人達の直観やインスピレーションに


頼るところがあり、「あの学生がいい」 という面接官の個人的感覚に左右されるのです。 


極論なことを言えば「好きか嫌いか」で決まっているということです。 世の中、そういう好き嫌いで回っている


ケースが意外と多いと思います。


高校入試で本来不合格になっていたはずの18名が採点ミスがあったことで、順位が上がり、かろうじて合格


した人を運がいいというのか、悪いというのかは誰にもわかりません。 その人の人生は、その後にどんな


生き方をするかで人生は180度も変わってしまうから。 採点ミスがあって良かったと言えるのは果たして


18名のうち何人なのでしょう。 この人たちの7年後を観てみたいものです。 そしてその7年後も。 


それを5回ほど繰り返してみると彼らも50歳になる。 その18名の人生においてその採点ミスが果たして


どれほど影響したかは、その頃になって顧みたいものです。 そして大抵の場合、その採点ミスなどとるに


足らないものであったと気づくのではないかと私は捉えてます。 漢字の試験の「とめ」、「はね」の違いで


2点、3点の差が生じて、それがその人の人生を変えるものでは決してないと思っています。 


いい高校、いい大学を出た人が、必ずいい人生を歩むという道理もありません。 


運命の歯車は、そのずっと前から回り出しているし、大事なのは、それがよくないものであっても、それを


食い止めて、いいものだけを出して行くことが出来れば、それはそれで素晴らしいし、それが大事。


人の人生を如何様にするかは、その人の心根で決まるもの。 谷底に落ちても歯を食いしばって活きている人


にとって、その人生はマイナスでも何でもないのですから。 


逆に株で儲けた人やネオヒルズ族の与沢氏のように月収1億円という大金持ちになって、成り上がっては


みたものの、そのお金で悲しい末路を辿る人の何と多い事でしょう。 心が荒んでしまうこと、それがよろしく


ないのだと与沢さんを診ていて、思うのです。 日産のゴーンさんの役員報酬が10億円を超えたという。 


これは凄い事で誰にでも出来る事ではありません。 しかし、だからと言って、その人生が素晴らしいと


絶賛することは私には出来ません。 


そのゴーン氏の最終章。 いったい何が書かれているのかは、まだ誰も知らないし、採点ミスで不合格


の烙印が押されているのかもしれないのだから。


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