柿八年


桃栗三年、柿八年とはよく言ったもので、自然界の鉄則です。 そして、こういう見方は人間にも同じように


言えるかもしれません。ダンプのような人、軽四輪の人、スポーツカーの人、ワンボックスカーの人。


人はそれぞれ持って生まれたものがあるのでしょう。それを見誤っては人生棒に振ることもある


ように思えます。 そういう目で見ると、人によっては桃や栗の人もあれば柿の人もいるという事です。


柿は栗の真似は出来ない。 自然の柿は悠々として柿そのものの生命を生きている。 悠々と生きて


その時期を待っている。 ただ、この「待つ」というのは、漠然と時間を過ごしながら待つのではなく


一時一時を大切に生きると言うことが大事なのだと思います。 今日という日を平然とやり過ごし


平気で粗末にしているようでは、花が咲くころなど永遠に来るものではないと思っています。


一日一日を大切に一所懸命生きてこそ、時期が来れば実がつくのだと思います。 それが桃と栗は


三年、そして柿は必死に生きて八年目のことです。 自分の立ち振る舞い、発言などを振り返ることも


なく、懺悔の念などお門違いなどと思って生きる、よこしまな人や怠け者には清らかな花を咲かせ、


実を結ばせるような時期は永遠に来るものでない。


横浜といえども青葉区には、まだ畑も残っていて家の側の裏山に真っ赤な柿を観ることが出来る。


私は、それが黄色い花を咲かせた時も、青々と葉っぱをお天道様に向けていた時も、そして葉を落とし


たわわに実る真っ赤な実をつけた時も、観て来ました。 そしてその柿の木が栗よりも五年も遅く


実をつけることなど頓着なく精一杯活きて地面にしっかり根を張った姿を私は決して忘れない。  


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