借りもの


以前は「戴きます」も言わず、何も気にせず食事をし、トイレも億劫に感じながら用を足してました。


食べ物を食べて、必要な栄養分を吸収して、余分なものは排泄する。 動物はみなそうしてます。


何でもないことのようですが、そうでもないのではと最近思うようになって来ました。 自分の知らない


うちに胃や腸、そして心臓も肝臓も、はたまた膵臓というものまでも、私の身体には、様々な臓器が


出来ていて、それらが全力を上げて懸命に働いてくれている。 私が起きていても寝ていても。


しかし、これは自分でそうしようとしても出来るものではありません。そう思うと、自分の身体だから


自分のものと思うのは、大きなあやまりのように感じ出したのです。 その証拠に自分の身体だと


言っても全く思うようになりません。こんな時に病気になりたくないという時に限って熱が出ます。


ここは踏ん張ってと思う時にお腹が下痢をします。 くしゃみなどはしたくもないのに出ます。


そして死にたくない時に死ぬのでしょう。 自分のものだと言えるはずありません。


それを勘違いしてるから、不足や不満も、そして粗末にも扱ってしまうのだと思います。


この身体は、少しの間、お借りしてるだけだと思わねば、私は自分の身体を粗末に扱い、無理を


重ねてしまいます。そんな自分がいることに気付きました。 たとえそれが傷だらけで言う事を聞かない


ポンコツな身体であったとしても、感謝をして日々大切にして、お返ししなければと思うのです。


健全な精神は健全な身体に宿るといいますが、あながちそうでもなさそうです。健全な身体を


持っているのに悪事に手を染める人は数え切れません。 ならば健全な身体でなくても日々感謝


をしながら生きて、普通に暮らせることをありがたいと思わねば罰があたるのではないかと思うのです。 


深呼吸が出来るのも、飲み物が飲めるのも、道を歩けるのも、夜寝れるのも、気持ちのいい朝を


迎えられるのも、おいしいものを食べるのも、そして普通に用を足せるのも、有難い。 


そんな時に私は心の中でいつも思っています「合掌」とは、こういうことかと。


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