奇遇


24年も前のこと。結婚して5年間、子供が出来ずにいました。両家の親、親戚などから、悪気のない催促のような


会話にも嫌気がさし、子供に関わる会話も避けるようにしていました。私は、このままでいいし、あえて子供を作らなく


てもいいと思ってはいたのですが、やはり夫婦なので相手の意思も尊重せざるを得ません。家内は、当時の不妊治療


の名医と言われる医者をどこからか探して来て、その方の渋谷の病院まで行くと言い張ってました。私は、その会話を


避けるように、避けるようにしていたのですが逃げられませんでした。結局、行かざるを得ないはめになり、渋々というか


、びくびくしながら連行されて行きました。 


子供が出来ないのは自分の責任のように思い込み、それを宣告されるのが怖かったのです。しかし家内は堂々とした


もの。いつも弱そうな女性がなんで、これほど強いのかと思えたほどです。家内は「ちゃんとして生きて来たから、ちゃんと


子供は生まれるはず。」という思いがあったのかもしれません。私は逆でした。「ちゃんとして生きてこなかったし、胸に


手を当てれば若かりし頃の遊びもあり、真っ当なことにはならないはずだ。」と思っていたのです。何度か病院に通った


ころ自分の精子を顕微鏡で見るという羽目になりました。当時の私は無精子症候群や精子の奇形という言葉を知って


いたので、きっとその宣告を聴くことになるはずだと思い、暗く淀んだ気持ちで病院に向かいました。大げさに言うと


人生の終わりのような顔をしていたかもしれません。 「さあ、顕微鏡のレンズを見て下さい。見えますか?」という


落ち着いた響きは今でも忘れません。「ご主人の精子は異常ありませんね。分かるでしょう。数といい、繊毛運動


といい。」 私はあまりの安堵にお礼の言葉もうまく言えなかったと記憶しています。診察室から出てきた時には、


周りの風景がカラーで見えました。緊張し、おどおどして、逃げ出したい思いから病院に向かっていたので診察室


に入る前の私は、白黒の無機質の風景の中にいたのです。 


こういう経緯があってその後、ほどなく長男:yudaiが生まれ、次男:sakyoには、その3年後に出会う事が出来ました。


私の場合、ここまで来るのに大変、遠回りをした気がしますが、 しかし、この偶然の積み重ねの一つ一つを当然という


言葉で終えられない、もっともっと重いものがあるように思えてならないのです。 何故なら標準的男性の一回の射精に


ある精子を約5千万個として、また青少年から結婚し受精するまで18年を要したとすると、そこまでに約2千億個の精子


を要することになります。また女性は約30万個の卵子の中から毎月1個だけ選ばれて排卵します。たとえば26歳で


結婚したとして、28歳で子供を授かるとすると、それまでに、すでに約192個の最適卵子を排卵し終えて、その後、


受精の機会に辿り着くという訳です。今はもっと遅くなっていると考えた方がいいのかもしれませんが、女性が初潮


を迎えてから193番目の卵子の排卵に出くわした精子と受精し子供が生まれると仮定出来ます。すると、その精子


は2千億1個目の精子ですから、この出会いの確率は2千億1個 x 193個 = 38兆6千億193分の1です。


その確率で、今いる我が子に出会ったということです。この奇跡的出会いは自分の生まれた確率でもあるし、


母親のそれも、みな同じです。世間の嫌いなヤツも、好きな人も、中国人もアメリカ人も。みな同じだと考える


のが自然です。つまり、この奇跡の集まりが、奇跡を生み、また奇跡を創ります。一つの受精卵は細胞分裂を


起こしながら、2億2500万年前の哺乳類の祖先からか、もしくは2500万年前の猿人類の進化の過程を辿る


ように十ヶ月と十日間 母親のお腹の中で成長して、漸く世に出るのですから、これも長い旅を経て人体を形成


するという奇跡と言えます。1個の受精卵になるまでが奇跡なら、その分裂進化の成長過程も奇跡です。 


一人一人の命はそれほどの偶然が重なりあって創り上げられているようです。


私は、遠回りをして来ただけに、この奇跡を重く感じないわけには行きません。今、私は、この偶然が折り重なった


奇遇の真っ只中にいます。 多くの人がそうであるように、私も奇跡の中で活かされてるのでしょう。 昨日も今日も、


そして明日もまた、私はこの偶然の中にある奇跡に出くわすことが楽しみでならないのです。


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