つまづき


今日、不可能と思える事の大半は100年も経てば現実のものになっている。


過去を振り返ると、この先の100年は想像もつかないほど進歩するということだ。


それには高い目標を持ち、その目標に挑戦しようとする気構えが必要だ。


努力とその継続を怠らず、七転び八起きの精神を貫けば一時の挫折やつまずきなど


生きて行くための栄養に転化する絶好のチャンスと捉える事も出来る。


そしてその生き様の中に心を熱くし、心を震わせるような感動を探し求めて


生きて行けば、大方の道は安泰だ。


果たして一人一人の目標がどこまで達成できたかは分からない。


しかし分からないながらも一生懸命に希望と勇気を振り絞って自分の人生を生きて行く事が


与えられた寿命というものを生かしきる道なのだろう。


人の一生は大きな運命の渦の中で、ご縁の糸に操られている。


人と人とのつながりも、一人の意思や、その時々の感情によって簡単に切れて


しまうものではなく、もっと大きな流れの中で、もっと次元の高いものに


左右されているように思える。


こうして自分の思い通りにはならない渦の中に私は生きて来た。


絡まり合う衝動に足元をすくわれたり、つまずいたりして生きてきた。


人格など整然と秩序の取れたものではなく外からも内からも無秩序につまずく日々だった。


失敗は私の周りでいつもお手ぐすねを引いて待ち受けていた。


しかしこの思い通りにならない無秩序の連続が将来の危険から身を守る確率を高めている


ように思えてならない。


何でこんなことが起こるのだろうという「つまずき」が将来のある事柄に辿り着く時間の


リセットであったりもする。


大事な時に靴の紐が切れたり。


急いで連絡を取りたくなった時にスマホのバッテリーが切れたり。


電車でウトウトしていて荷物を網棚に忘れてしまったり。


一番短い列を探して並ぶと、列が進まなかったり。


お昼に雨が降ると思って500円傘を買ったら一度もささずに食事をした場所で忘れてしまったり。


バーゲンに並んで買い物をした帰りに得をした分以上の交通違反切符を切られたり。


世の中まったく思った通りに行かないものだ。


しかし思い通りにはいかない人生でも振り返ってみれば案外悪くはない。


つまり、この「不自由なつまづき」の連続が実は大きな価値があったということなのだろう。


だとすると、どうやら無秩序の連続の中で、つまづくばかりのこんな自分でも


いつしか危険を察知しながら生きるすべを身に付けていたということになる。


人は100年前の過去に生きることは出来ないし昨日に戻ることも出来ない。


だから前を向いて明日に生きるしかない。


つまづきと挫折を真正面から受け止めてみよう。


そして明日の失敗を楽しんでみようという気持ちが心の底から沸々と湧いてくる。


さあ、そんなワクワクする明日がやって来る。


私は明日、多くの不安と多くの心配の顔に出くわすことになるだろう。


私は、そんな一人一人の刻一刻の勇気を奮い立たせてみようと思う。


そして一人一人の心に火を灯してみようと思って居る。


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