銀が泣いている


人はダイヤモンドの原石のように光り輝くものを生まれながらに持っている。


でも、この本質的なものも磨かないと、その持てる力も発揮することなく消えうせてしまう。


多くの人は豊かな才能を持ちながらも、いつの日か自らの言い訳を添えてその舞台から降りて行く。


天才的な能力があったとしても退場する時の逃げ道を知らず知らず用意して姿を隠してしまうのだ。


つまり大事なことはいくら批判されても、評価されなくても、その舞台から降りないことではないだろうか。


そこにしがみ付き、我武者羅にでも生きてみるべきではないだろうか。


自分が志を定めた道を忘れず、その道を信じて歩き続けることだ。


人生にリハーサルはない。


その日その日がぶっつけ本番だ。


悩んでる暇など毛頭ない。


だったら余計な事など考えず自分が本当にやりたい事をやって生きて行きたい。


人間それぞれ、好きなことがあるし、やりたい事は千差万別。


好きなことがわからない人は自分の心に聞いてみるしかない。


無駄と知りつつ何かに熱心に取り組む。


好きな事とはそんなものではあるまいか。


将棋を観ていて思う。


世の中のすべてのものは人間生活に役立とうとして待機しているのではないだろうと。


そこにある駒の1つ1つが出番を待ち、活かされ方を訴えているように観得る。


縦9マス、横9マスの中で、相手の駒が泣いている。


歩は歩なりに、角は角なりに、あり得ない動きもする。


若い頃、疑問に思ったことがある。


私は飛車だろうか?


それとも桂馬だろうか?


いったいどんな生き方をすればいいんだろう。


何年も経った今、その答えがかすかに浮かんできた。


自分がどの駒であるかは問題ではない。


一局の長さも問題ではない。


ただ、歩であろうと、金であろうと思い通りに動くのがいい。


将棋盤の上で精一杯五感を働かせて持てる勢力を使い果たしたい。


泣いている駒はないだろうか?


今までの自分の一手はそれぞれの駒を活かせて来れただろうか?


世の中すべてのものは将棋盤の上にある。


ぶっつけ本番の人生がそこにある。


「待った」は効きそうもない。


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