かけがえの無いもの


男性と女性が出逢い、恋に落ち愛を交わす。


互いの人生が重なり合い喜びを分かち合う頃に精子と卵子が結合する。


しかしこうして奇跡の確率の出逢いによって結ばれた受精卵でも、この世に生まれて


来るのは、僅かに3割しかない。 残りの7割の受精卵は誕生までには至らない。


この生まれ出でた3割の中にも染色体に異常があったり、重大な疾患を持ったまま


生まれて来る子供がいる。


僅か1年の命の赤子もいる。


ご両親は治る見込みのない我が子の小さな手をさすり、頬を撫でてあげるしかない。


たった1年の命と分かっていても神に祈る。


そして必死に看病する。


たった1年でも、その子は親にいろんなものを与えてくれた。


若い新米夫婦にかけがえの無いものを残してくれた。


その子はその二人を選んで、その二人に会いに来たのだ。


またこういう事もある。


毒矢に刺さって苦しむ子供がいるとする。


そこに医者達が集まって論じ始める。


誰が矢を射ったのか?


この子は誰の子で何で射られたのか?


身長と体重と血液型は?


この子はいったい何歳なのか?


その矢の材質と刺さった角度は?


その矢にどんな毒がどれ程ついているのか?


苦しみ悶える子供の周りで論じられていた。


やがて、すべての疑問に答えが出た頃には、その子の息は絶えていた。


医者もいろいろいるものだ。


でも医者は評論家では困る。


分析や議論が不要とは言わない。


でも、その場で必要なことは一刻も早く患者の毒矢を抜いてあげること。


そして人として生きる事ではなかろうか。


誰でもわかりきっていること。


でも、多くの場合、そんなことが進まない。


人の一生のうち、困難や逆境に遭わずに暮らしていける人は稀だ。


ほとんどの人は、その状況は違えど様々な苦労を背負って生きている。


孫を抱いて涙する祖母がいて、子供を叱って抱き締める母がいる。


台風が来ると家族揃って、肩を寄せ合い息を潜めて台風が過ぎるのを待つ。


天気予報の無い時代は、そうやって家族の心を確かめあっていた。


今、してあげられること。


今、出来ること。


いったい私に何が出来るのだろうか?


それを昨日も今日も思いながらデコボコ道を生きて来た。


明日もそんなことを心に抱きながら地べたを這って生きていくだろう。


私の前には、そんな道がどこまでも続いている。


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