お遍路さん


元有名野球選手が四国でお遍路を黙々と歩いている。


人は常に変化の途上にある。


昇り調子があったかと思うと、あっけなく真っ逆さまに崖を転げ落ちたりする。


気を許すとこの様だ。


あまりの変化の大きさに心が付いていかない時だってある。


変化は修行という言葉に置き換えてもいい。


活きているとは、その修行の連続だ。


元野球選手の近況を読んでいて、そう感じた。


空手を教えていると、ふと思う事がある。


観て、真似して、覚えて欲しい。 集中して盗んで欲しい。 


あえて教えない。  教えるのではなくやって魅せる。


スパーリングも移動も、型もすべてやって魅せる。


通信教育では、得られないコツの伝授がそこにある。


やって魅せねばならない。 すべては論より証拠だ。


良し悪しは直感で分かる。  いいものはいいし、良くないものは良くない。


だから今、この一瞬を見逃さないで欲しいと思う。


この感覚を盗んで欲しい。


全ては、その一瞬の中に凝縮されている。


今というその時を一生懸命に活きると、そこに行き着く事が出来る。


そのことに意味を見出して活きていくと、大事な一瞬に何度も出くわすことになる。


だからこそ努力する価値があるというものだ。


その努力があって初めて夢に向かう道筋も見えて来る。


その道なき道を時間をかけて歩いてみないか。


夢にたどり着くまで一緒に歩かないか。


夢は現実の中にこそ宿る。


今、荒れ果てたデコボコ道でも、自分自身の足で歩いて、そこに夢の種を埋めればいい。


自分の前に伸びる石ころだらけの道をただ黙々と歩む価値はそこにある。


太陽の威を借りて光る月よりも、小さくても自ら燃える蝋燭のように活きるには


そうするより他に手はあるまい。


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