夢と現実


電車に乗っている。 東京の下町から成田に向かう途中の駅でハッとして我に返った。 荷物を持ってない


事に気が付いた。 急いで家に電話をかけて尋ねると 「荷物はあるわよ、そこに」とあっけない言葉が帰って


来た。 女性は母のようでもあり家内のようでもあった。 声は若く30代のようだった。 電話口の廻りに小さな


子供の泣き声も聞こえた。 自分の子供のころのようでもあり、我が子の声のようでもあった。 夕飯の用意を


するから忙しいのと言ってすぐに切れた。  すぐに取りに帰らないと間に合わない。 焦った。 時間がない。


何でこうなったのかわからないけど、時間がないことは確かだ。 余裕を持って出て来たはずなのに


一旦、家に戻ってからだと乗り遅れるかもしれない。 どうしよう。 気持ちばかり焦っていた。 


旅行代理店に駆け込んで飛行機を変更したいと申し出ると54万円だという。 足元見やがって、少し高すぎ


やしないかと思いながらも、カードで払って先を急がねばならないような気がした。  


霞がかかったような記憶の中で何故、荷物を置いてきて出て来てししまったのか記憶を辿ってみても


肝心なところで獲物は逃げてしまう。  訳がわからないまま佇んでいた。 急いで戻らないとならない


という焦燥感の渦の中にいた。 


そこで、漸く目が覚めた。 寝汗をかいていた。


夢だった。 夢で良かったと安堵した。 時計を見るとまだ5時。  朝から疲れる夢を見てしまった。 


朝はまだ早い。 夢の余韻が尾を引く。 テレビはつける気がしない。 ぼーッとしながら振り返ってみると 


さっき見たのは三十過ぎの、いつも我武者羅に時間を気にしながら生きていた自分ではないか。 


余裕などほとんどなく働いて、夜、目を閉じるとすぐ朝を迎えていた。 そんな三十代だった。


あまたの夢が三十代の男に沸いては消えていた。 溢れる夢の多さと体力は充実していた。 好奇心と


向こうっ気の旺盛な頃だった。 しかし細かいストレスも溜まっていたんだと思う。 周りの評価を気にして


いつも時間に追われ、仕事の成果を求められる頃でもあり、同期の中でも出世する者とそうでない者の差


が見えだした頃でもあった。 毎日のプレッシャーはたとえ小さくても蓄積したストレスになっていたんだと思う。 


たくさんの小さなストレスが雨の様に降り注ぎ、そのストレスに抗体が間に合わない場面にも出くわした。 


努力の結果はすぐには出ない。 だから何年も何十年も自分の希望と夢と付き合わねばならない。


たった一つの夢に絞って、それを掘り下げていくことが地に足が着いた生き方だと今は思う。 


そしてそれが自分の人生を自分の足で歩いていくということなのだろうとも思って居る。 


明日を掴めるかどうかはわからない。 でもこれからも明日を見詰めて生きて行こうと思う。 


心配事や不安がない訳ではない。 でも等身大の理想と現実の中で地に足をつけて歩んでいくことが


望ましい生き方だと思う。 そしてそういう生き方が夢を現実のものにしていく道につながるのだろう。


何事も事を成し遂げる道には苦しみと困難が横たわっているものだ。 地に足をつけ、それらを一つ一つ


耐えて乗り越えてこそ、明日に希望をつないで生きていくことが出来るのだ。   私はそう信じている。


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