神様


自分が欠点だらけの人間だから、もっと良い人間になれるように神様助けて下さいと祈る。 


こんな自分でも見守ってくれている神様を信じ、いつかは、今よりは良くなるだろうと自分に望みをかけて


自分を見捨てずに行こうと思う。  そんな生き方を大事にしたい。


こちらが悪ければ、悪い人間が寄ってくる。 こちらが信用することによって、信用される人間が周りに増える。


だから悲しみも、喜びも、感動も、落胆も、つねに素直に味わおうと思う。 きっとそんな人達が集まるはずだから。


人生の成功と幸福は、青少年の時の汗と涙の量に比例するかもしれない。 しかし、世の人の成功不成功には


あまり大差はないように思えてならない。 ただ成功を逃がす人はいずれも、いま一息というところで肝心な


打ち込み方が足らないだけで、実際には、その差というものは実は紙一重の差なのではなかろうか。 


たとえば、チャンスが誰にでも同じ顔をして平等にやってくるとしたら、それに気づき、掴むかどうかだ。


しかし、そのためには、日頃から真面目にコツコツ努力をして力をつけておかねばならないだろう。 


ほほ笑んでくれるはずの女神さまが自分の前まで来てスルリとすり抜けて行かぬように。


自分の気持ちが萎えて、めげそうになる時には、努力を惜しまない人の姿を思い起こすのもいい。  


夜通し仕事に明け暮れる人。 病床の家族を介護し続ける人。 金銭でなく人のために自分の時間を使う人。  


そんな人達の姿を思い起こすだけで、萎えた心に背骨が入る気がする。


どんな落ち込む目に遭っても神様が自分を鍛える為の試練と信じて何とか奮起したいものだ。


命ある限り、男は男盛り、女は女盛りなのだから、せっかくの人生、一瞬でも疎かにはできないだろう。


先週の稽古のあと、少年部の子供が「先生、神様はいるの?」と唐突に聞いてきた。


何でそんなことを汗を流したあとに聞いてくるんだろう。 稽古のあとは、なかなか一人一人とじっくり話を


している余裕がない。 多くの方々にご挨拶し、子供達の頭を撫でながら声を掛けるという時間なのだから。


でも、心に残っている。 「先生、神様はいるの?」


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