左右


人は、どんな時にでも笑うことは出来るはず。 でも笑っているからと言って機嫌がいいとは限らない。 


恐怖でも、屈辱でも、そして突然の悲惨にだって、笑いだしてしまうかもしれない。 そんな事件が夏は目に


ついてしまう。  起こってみると、いつかはこういう惨事が起こるような予感が心の底に引っかかっていたり 


もする。 いつか突然、何か取り返しのつかない事態が起こり、自分たちを叩きのめすのではないかという


悪夢のように。 病気、怪我、事故などは不意に目の前にその姿を現してくるものだと後になってつくづく思う。 


穏やかな川の流れが一瞬にして大きな濁流となってすべてを無に帰してしまうようなことだってある。


夏は子供達が成長する時間。 


その子供達のひと夏が無事であるようにと願っているのは、そんな訳からなのです。 


「左」という漢字の「ナ」の部分は人の手を表し、「エ」の部分は祈りの道具。 


「右」という漢字の「ナ」の部分は、同じく人の手を表し、「口」の部分は祈りの文書を収める器。


左右ともに、漢字の成り立ちは、「人が祈りをささげる姿」とは、ある学者の説。  


そんなことをふと思いながら、今朝も両の手を合せていました。


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