信者に徹する


「導く」という字の意味はどのようなものかとふと思った。 漢字は「道」に「寸」。「寸」は手のこと。道に入るべく、


道を歩き出すべく、手を貸すということである。道とは天下の大道らしい。人が行うべき正しい道である。 


そんな道に「もっと強い子になって欲しい」と思い、または「礼儀をわきまえる子供になって欲しい」、「いじめに負け


ないで欲しい」と思って子供達を連れて来られる。 ずいぶん昔からいろんなご両親をみてきた。 


しかし道を歩む場所とは病院とは違う。病気が治れば来なくなるそういうものではないのです。 


教会に来る方が全員が信者かというとそれもそうではないでしょう。 何かの心の病を抱えて教会に来て、その病が


癒されれば教会に行く必要がなくなるというものである。 そもそもそういう方は患者であって信者ではないと心得ねば


ならない。それを受け入れる側が勝手に、はき違えて患者と信者を混同してしまうところに大きな間違いがある。 


そして何事も指導する側の人間には、それ相応の「信」がないと勤まらない。 


自分に「信」がない人に信者など出来るはずはないからである。 


そういう場合は、まず自分自身が信者に徹することから始めなければならない。 


心が定まっている事、そしてたゆまぬ努力をする姿が真実の「信」である。 


しかし、我が道が迷わず「信」の道を進んでいるのかはたまに点検しなければならない。


知らず知らずに奈落の底に迷い込んでるかもしれないので。


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